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2017年7月

2017年7月12日 (水)

ドイツでビール!それとカールリヒターの事

ベルクムント・フォン・山口です。ご迷惑おかけしましたが、先月にドイツから無事、戻ってきました。変なドイツ野郎になっていて申し訳ありません。私の個展は無事に終了しましたが、現在また場所を移しまして8まで開催される運びになりましたので、ベルリン在住の方は是非おでかけくださいね。会場については追って告知いたします。初回の個展もそうでしたが、ミッテ地区と言う、昔、例のがあった所、ブランデンブルグ門の近くで、アートには一等地らしいです。

 

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個展のレセプションは、ドイツではヴァニサージュと言うのですが、その初日が勝負なのですね。画廊やオークションのオーナー達、大使館関係、アート関連の方々が集うパーティーなので、そこでアピールしなければなりません。今後も発展していく活動の宣伝をして作品の資産価値も保障しなければいけないのですが、そこの所は私にはどうも荷が重く、まあこれから勉強です。

全般にドイツの人は意味と意志と理屈が好きな印象でした。私のスピーチで解説を加えた作品のみが売れるので、作品の構造や象徴の意味を知りたがる感じです。ジュエリーメーカーの画廊のオーナー、オークションのエージェントが興味を持ってくれて私の作品を置いてくれるそうです。私の印象ではドイツの写真界は作品といえば記録写真が圧倒的で、例えば建築写真などが作品ジャンルとして昔から確立しているようです。

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 さて、今回は初めてのドイツという事で少々観光もさせてもらいました。ライプツィッヒ、ドレスデン、フランクフルト、ローマ街道(ロマンチックシュトラッセ)のいくつかの都市、そしてミュンヘンと周って来ました。イタリアがワインと歌の国だとすれば、ドイツはビールと管弦楽の国ですかね(あとオルガンとコラール)

私はこれでワインには結構うるさいのですが、ビールに関しては無知というか白痴に等しい世界観しか持っていなかった事を今回は思い知りました。これまで日本で普段飲んでいたビールは美味しいものと思っていたのです。恥ずかしながら英国本土のパブで、室温で飲む気の抜けたようなビターに親しむようになっても、その無知蒙昧は頑固に居座っておりました。ところが今回のドイツのビールといったら・・・種類も味わいも百花繚乱。特にミュンヘンのディンケルという少し黒いやつ、そしてバイツェンビールヘーフェヴァイスと言うんですか、あの酵母で白濁している上面発酵のやつ、向こうではあれを少しだけ冷やして飲むんですね。あの麦芽はどこまでも香り高く余韻を引き、酵母の優しさはマリアの慈悲の如く、これがビールなのだと目から鱗でしたね。それで、日本に戻ってから飲む生ビールの味気なく薄っぺらな事。悲しかったです。うーん困りました。現在、日本の地ビールに少しある無濾過のエールを片端から試していますが、今一つなんですね。

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一方、管弦楽ですが、ベルリンフィル、ゲバントハウス、ドレスデン室内、ミュンヘンフィル、ミュンヘンバッハ等、クラシックファンにとっては溜息もののハイクオリティーオーケストラが各々の都市にあるのですからたまりませんね。教会ではいつでもオルガン演奏会が無料で聴けますしね。今回はベルリンでオペラハウスのバックヤードを、幸運にも知り合いになった出演者の案内で見学する事ができました。そこで「彷徨えるオランダ人」を観劇して、ライプツィッヒではゲバントハウスを聴いてきました。勿ライプツィッヒバッハの奉職したトーマス教会があります。以外と小さな教会でしたが、教会ではトマーナ(教会付属少年合唱団)のバッハのモテットとカンタータ79番を聴き、堂内にあるバッハの墓に詣でてまいりました。感激です。花輪やブーケが捧げられ、自分の演奏したCDを墓の上に置いて行く人もいます。
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偶然ですが、後日ミュンヘンに行った時、美術館への道を間違えた拍子にカール・リヒターがカントールを勤めたマルクス教会(聖マルコ教会)に行きつきました。これも運命だと思いたいです。それは大変に簡素な教会で、堂内に装飾は無く、超機能的な2種類のパイプオルガンがありました。カール・リヒターと言う人は殊にバッハの演奏において空前絶後の存在であり、一時は潮のように押し寄せたピリオド楽器による古楽演奏の嵐にも微動だにせず、いまもって巌のように屹立している偉大な存在なのであります。

考えてみると教会のカントールが世界に演奏旅行にでかけ、宗教曲はもとよりオペラや交響曲を指揮し、大成功を収めるなど破格な事です。峻厳な世界観の持ち主で、音楽に憑かれた天才であったカール・リヒターはやがて心筋梗塞で倒れます。その突き詰めた性格も原因なのでしょうが、現地で思ったのは下世話な話、ミュンヘンの食事は一般に味が濃いと思います。つまり塩分の取りすぎが多少影響したのかも知れませんね。それほど、何もかも塩辛いのです。もっともリヒターは元来ザクセンの音楽家、トマス教会のカントールであったシュトラウベやラミンに教えを受け、後継者を嘱望されながら、西側の自分の自由にできる環境を求めてその地位を辞退します。ですからミュンヘンにいたのは十数年と聞きました。その後は主にチューリッヒで病後静養しますが、マルクス教会の記念碑を見ると亡くなるまでこの教会のカントール、オルガニストだったのですね。

 

私はリヒターには申し訳ない事をしたと後悔しているのです。彼が多分二度目に来日した時、すでに病魔が彼を浸潤していて、それは悲しくも痛ましい姿で、歩くのもままならい様子が伝えられていました。チェンバロやオルガンの演奏では超絶技巧とは程遠く、もはや彼は終わったと断じて聴きに行かなかったのです。浅はかでした。バッハもリヒターも音楽は神に捧げる活動だったはずです。決定的に不自由となってしまった手脚で、あえてその姿を晒してまでも、誠心誠意、必死にバッハの音楽を紡いだリヒターの本来のバッハ演奏を、私は聴き届けるべきだったのでしょう。若者とは本来、前向きではあるが短慮な存在ですが、思えば悔いの多い人生です。

カールリヒターについては故吉田秀和さんが彼と食事を共にした時の印象をつづった文章が私は好きです。その書き出しはこんなふうです。

「カールリヒターが東京に着いた夜、私は彼を囲む少人数の食事によばれた。凝った天ぷら屋だったが、座につくや否や彼は料理の整うのも待ちきれず、大根おろしをはじめあたりにあるものを手当たり次第平らげだした。・・・席の人の半分は初対面だったが、彼は食べる以外に何一つ念頭にない様子だった。みかねて付き添いが説明した。『リヒターは飛行機に乗ってから今まで何も食べてないのです。スチュアーデスが食事を持ってきても楽譜を手から放さず追い払ってしまうものですから』と。あとで私が確かめると彼は事もなげに『飛行機では電話もかからず、いやな客も来ないから、楽譜をゆっくりみていられて、こんなに楽しいことはない。特にバッハの楽譜はいつひろげてみても新しい喜びと謎がみつかるものだから』と言っていた。・・・これは音楽に憑かれた人、探究してやまない人である。・・・」

私も探求してやまない人でありたいとは思うのですが・・・。

   スタジオ☆ディーバ Photographer:山口直也

 

 

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2017年7月 5日 (水)

新人紹介で~す

はじめまして!
この度スタジオ☆ディーバに新しく仲間入りしました
横田栞です。

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今は仕事を覚えるために
ヘアメイクのアシスタントをしています。

受付やお帰りのご案内や
撮影の立会い等で応対させて頂くことがあると思います。
まだまだ不慣れではありますが、
よろしくお願い致します。

夏に向けて、だんだんと暑くなってきていますが
スタジオは暑い日差しにも負けず、
日々元気に営業しております!

皆様と笑顔で会える日を
スタジオにてお待ちしております!

    スタジオ☆ディーバ ヘアメイク シオリン

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