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2009年5月13日 (水)

メイクアップ!(身体を超えるカラダ)

Dsc_4256wllc_4張り巡らされた罠の向こうに、メイクアップした女性が捕らえられている。射るような眼差しをもって、彼女は社会のしがらみに、あたかも挑んでいるように見える。

今回のテーマはメイクアップ

メイクアップはそもそも単に整えて作り上げるというに止まらず、人間の精神史においては、その根底に呪術的な意味を潜在させている。ボディーメイクを含め、人体に施した粉飾は、自分を霊に化体して強い者となるために、また翻って魔を除けるための意味を持っていたのだから。
例えば、リップスの赤(紅)は古来、魔を入れない、また同時に出さないという結界を表現したであろう。鳥居の赤と同様にである。現在でも、ある種の精神疾患の人たちの、口が異様に赤く強調されたメイクに、自己を理不尽な外界から防衛するのだという、呪術的な意味を読み取る事ができる。これは人間のアーキタイプでもあるので、そこには実に多くの人に共通する無意識を垣間見るのである。敢えて言うならば、それは、自分の有限な身体性を超えようとする、悲しき願いなのではなかったか。

現代の文明社会では、市場経済の原理に沿って流行が生み出され、メイクアップも遊び心に華やぎを添えている。透明感のあるファンデーションとハイライト、的確に入れられたシャドウ、上手にメイクされた女性の顔は、洗練されて美しい。
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だが多くの女性がメイクアップによって社会とのインターフェイスを獲得し、あるいは無防 備を脱して、武装できたと感じるのはどういうことだろう。私には単なる習慣の問題ではないように思えるのだ。冒頭で述べたように、メイクアップは元来、単純な性差の強調という事ではなかった。かつて顕著であったその原始の本質は、現代においても秘かに伏流し、時折にかつての片鱗を見せる。例えば、フォーマルな場において、リップスは赤を用いる事になっているのは何故だろう。赤は軍服の色、戦いの色、魔除けの色である。さらに顔の左右、パーツのバランスを人工的に整えて、ある種の均整美を装着していく。つまりメイクアップは、例えば男性が、夏の盛りでもビジネススーツに身を固め、ネクタイを締め、ペルソナによって自我を武装するのと同様に、女性が身を引き締めて、社会に臨む戦いの装束でもある。少なくともこの「勝負」顔の本質に対峙したときに、素顔こそ無防備で愛おしいと、少なくない男性が思うかも知れない。

もう一度、作品に立ち返ってみよう。
であれば、彼女を捕らえている蜘蛛の糸は、実は彼女自身の身体性そのものなのであり、それ以外のものではない。
人間にとっては限られた春秋の中で、それでも、あなたが本来の自分を越えて輝ける瞬間が必ずあるだろう。そして、その人生の重大な局面をクリアーするために、自分を超える力が必要と感じる瞬間が、必ずあるだろう。ただ祈るのも悪くないかも知れない。しかし、少なくとも、あなたの未来を開いてゆくアクティブな戦いにおいて、身体的にも精神的にも、メイクアップが有効な武器となり得る事は間違いあるまい。こう書いただけで、いくつかのシークェンスが私の脳裏にフラッシュバックしてくる。

太古から始まっている、自分の身体性を超えようという戦いの片鱗が、彼女の顔に刻印されて護符となり、彼女の挑戦が始まった。

Model: Yumi
Photo & Design:Tonno 
Hair & Make-up:Emi 

(現在、この画像はスタジオ☆ディーバのシンボルイコンとなっています)

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