ツインイメージは山羊と6ペンス! 何か手ごわいぞ!
以前スタッフブログで、あえかで捉えどころが無いのだが、したたかな本能を持つように感じるツインの少女達を「何故かマリー・ローランサンが・・」と表現した事があった。このツインのイメージ、即ち二重人物像には、実は隠れたメッセージがあるかも知れず、ここでもう一度「ツインの小鹿」を別の角度から取り上げてみようと思う。
マリーローランサンに「接吻」という美しい作品があって、非常に良く似た二人の少女達が描かれている。顔を寄せ合う双子の姉妹のようだ。もっとも、ローランサンの描く少女達、女性達は往々にしてどれもよく似ているので、区別の付かない事が多い。少女達はたいてい羊のようで、ローランサン自身は、山羊に似た顔で自分の絵に登場する。残っている彼女の写真を見ると、実際、山羊系である。この「接吻」の絵柄が私の頭にあって、その連想から、この画像に対して「何故かマリーローランサンが・・・」という表現が出てきたようである。
それはともあれ、二重人物像に関しては、田中英道氏が、レオナルド・ダビンチについて、世界的に評価される優れた研究を行っている。氏は二重人物像をダブルイメージと呼んでいるが、美術の世界では普通ダブルイメージと言うと、「だまし絵」のように、同一素材が、視点を変える事によって、異なるイメージに変化するような場合を言う事が多いので、ここでは二重人物像を「ツインイメージ」と呼ぶ事にする。
田中氏によれば、ツインイメージの人物がレオナルドの作品に多く登場するのだが、それは端的に同性愛を象徴しているというのである。当然レオナルドはそれ系だったが、そういった観点で彼の作品を見直してみると、確かにツインイメージとしか言いようの無い人物像が、数多く見出せる(田中氏は「ブノワの聖母」におけるイエスとマリアすらもツインイメージだと看做しているのだが、これはどうだろうか)。
エロスは、かつて一心同体であった片割れを、追い求めずにはいられないという気持ちである。これはプラトーンの「饗宴」に由来する観念で、本来、完全であったものが、神によって二つに分けられ、互いに失われたベターハーフを探し求める事になったと言うのだ(ここでは同性同士の組み合わせがより完全だと思われた)。本来一つであった良く似た者同士が、再び完全になる事を憧れ、そのための果てしない探索行というロマンチックなエロスの試練を課される事になった。
ルネッサンスのこの当時、メディチ家のサロンでは盛んにプラトニズムが論じられていたようだ(辻邦生の美しく懐かしい小説、「春の戴冠」の世界!ですな)。だからプラトーンにおけるエロスの観念は周知のものだったと思う。
ただルネサンスのプラトニズムからは遠く離れた現代で、ツインイメージの象徴が、どれほど現代人の意識・無意識の中で生きているのかは分からない。しかしそれでも、同性のよく似た者同士の美的に呼応する姿は、どこか相寄る魂を予感させる。逆に言えば、当人達の外見はともあれ、その愛の形をツインイメージで表現するという事は充分考えられる。
ローランサンは人生を折り返した時点から、サッフォー的傾向を明らかにした。晩年には、長い間、愛人であり家政婦でもあったシュザンヌ・モローを自分の養子とし、自分の遺産を相続させたのである。そして、前出の美しいマリーの絵「接吻」は、ずっと英国のノーベル賞作家であるサマセット・モームの愛蔵品だった。周知のようにモームも同性愛者である(「人間の絆」におけるフィリップの痛ましい愛の遍歴!)。
もしも、二人の少女達の間に、ある安定した愛の絆が潜在するのであれば、この画像を見た時の「何か手ごわそう」という男性の直観は、実はそんな所から由来するのかも知れない。
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