続・内なる殿堂 - 二人の天才 -
(3)もう一人の天才、ドメネク・イ・モンタネールのこと
産業革命で爆発的に拡張し、発展したバルセロナは、当時、大変な建築ラッシュで、雨後の竹の子の如く建造物が作られた。その中には素晴らしい個性的な建物が非常に多数あって、それらを手がけた才能のある建築家も枚挙に暇ない。ビラセカ、モンタネール、カダファルク(モンタネールの弟子らしい)、そしてガウディの弟子というか助手というのか、ホアン・ルビオーとかジュジョールなど(全てを検分している訳ではありませんが)。まあ個性的なのか奇抜なのか、それとも一つの様式なのか、はたまた亜流なのか、とにかく驚くような建物が普通にあるのだ。屋上に卵が載ったロエベの本店は(トイレだけ借りました)モンタネール作、テーマパークのような「サンパウ」もモンタネールだがこれは精神病院。心が痒くなるような和傘のモチーフ満載のビラセカの傘屋のファッサード、カサバトリョの隣にあるお菓子の家のような「カサアマトリェル」はカダファルク、ピカソがその坩堝から巣立っていった伝説のレストラン「4匹の猫(クワトロガッツ)」がある重厚な建物もカダファルクの作だ。
これらの居並ぶ才能の中で、「もう一人の天才」と言われているドメネク・イ・モンタネールの事を話題にしたい。彼は、当時はガウディ以上に有名で活躍していた。色々調べてみると、ガウディは職人の子として生まれ、貧乏で非常に苦学したが、モンタネールは良い家の生まれであって、裕福で順風満帆の人生を歩んだようにみえる。モンタネールはガウディより3歳年長という事で、ほとんど同年輩なのだが、建築学校では教授としてガウディを指導した一時期もあった。また顔が広く政治力もあり、実際、国会議員にもなり、バルセロナの建築界に君臨したのだという。その肖像画を見ると、やや小柄そうだが立派であり、どこか狷介な印象もあるが、生き生きと語りかけてきそうでもある。
モンタネールの傑作は、上記の「クワトロガッツ」から程近く、歩いてもすぐのところにある。それが「カタルーニャ音楽堂」である。偉大な音楽家パブロ・カザルスのホ-ムグラウンドだったと聞いたが、これは今回、私が最も感動した建築となった。
「音楽堂」は花のモチーフに満ちており、何と言う明るい空間だったろうか。私はその中に足を踏み入れた途端に笑いが止まらなくなった。あまりに素晴らしかったのである。
階段を上がるとその両側の手すり部分がそもそも素晴らしい。支柱が黄色い透明な筒状のガラスであって中に螺旋状の細い金属が入っている。電気器具で使用するヒューズ管のような作りなのだが、このガラスの支柱が列をなして、階上へと誘うのである。おりしも朝の光に輝き非常に美しいのだが、安っぽくならないギリギリの、心をくすぐるような軽さがあって、こんなものは見た事がない。斬新で、綺麗で楽しい。(後日、バルセロナからやや郊外の町、レウスのペレマタ精神病院でモンタネールが同じ造形を試みている事を知った。映像で見る限り気持ちの良い美しい病院で、コンサート用の小ホールもあるのだから、私が患者だったら退院したくなくなるだろう。因みにレウスはガウディ出生の地と言われる)。
ホールに入ると、天井に大輪のヒマワリをモチーフとしたような「大シャンデリア」が、それはよく見るとステンドグラスなのだが、太陽のように明るく輝いている。ホール内部は装飾過多どころではなく、余すところなく全てが装飾なのだが、信じ難い事に実に美しく調和しており、気持ち良く、目がくらむような華やかさだ。普通だったら悪趣味に堕する所なのだが、何と言う品の良さだろう。モーツァルトの音楽のように、滞りわだかまる事が少しも無く、心が浮き立って仕方が無い。とにかくこんな建物は見た事がない。「やはり人生とは素晴らしいものではないか」、思わず直感してしまう。この空間を一言でいうならば「花のワルツ」。間違いなくモンタネールは天才だった。ここから見たら、ガウディの空間は穴倉のようで、暗く奇妙で閉ざされている。
現在ではガウディの評価が世界的に非常に高く、モンタネールはガウディになれなかった男とか、妬んでガウディの仕事の受注に干渉したとか言われる事があるようだ。だが、モンタネールの才能は素晴らしく、本物の天才であったと思うので、アーティストの端くれとしての私には、彼自身がガウディを恐れたり嫉妬する必要は全くなかったと感じられる。むしろ少なくとも一時期のモンタネールが、周りの反発にも拘わらず、ガウディの才能を擁護していたという記述が残っており、それは事実だと思う。晩年は引退して海に近い母の郷里であるカネットデマールに帰り、紋章学などの研究に余生を送った。奇しくもガウディと同じだけ生き、73歳で3年早く他界した。
建築家の意見としては、モンタネールの構造的な建築技術は非常に優れており、鉄材とレンガとセラミックを組み合わせた「カタルーニャ音楽堂」は音響が素晴らしいばかりか、百年余の星霜を奇跡のように乗り越えて来たのだという。修復の折に装飾の一部を外したところ、プロの演奏家達から音が変わり響きが悪くなったと苦情が寄せられた。その美しい装飾も全て音響を考慮して設計されていたのだ。一方、ガウディのカサミラは造形の犠牲となった部分もあり、施工の失敗もあるだろうが、建築時の補修部分が綻び剥離が進んでいるそうである。
ただ、この二人は決定的に違っている。モンタネールが非常に外向的であるのに対して、ガウディは優れて内向的だ。モンタネールは社交的で名声や社会的地位を求め、政治家にもなれたが、ガウディは人付き合いが苦手で、結婚しそこない、時に依怙地であって、訳のわからない頑固者と思われることもしばしばだった。人生の後半は、他人からどのように見られるかにすら無関心となった。晩年は浮浪者の身なりでいるのも平気だったが、それは価値観の基盤が心の内にしか無かったからである。モンタネールは富裕階層に生まれ、能力もあり活躍の場が早くから用意されたし、自分でもそれを勝ち取って行く術を知っていた。一方、貧しい職人の子であるガウディは、偶然エウセビオ・グエルという理解あるパトロンとめぐりあえて幸せだった。というかそれなくしては世渡りの下手な彼は、建築家として在り得なかったのである。他の芸術とは異なり、建築のためには莫大な費用が必要である。この財界の大物であったグエルの注文や口利で、多くの作品が生まれたのだ。成功した事業家でありながらガウディの才能を見抜き、40年にわたって徹底的に彼を擁護したグエルという人も、只者ではない。幸せな邂逅だった。
またモンタネールは、モデルニスモという建築史上の潮流の寵児であったが、円熟期以降のガウディは、もはやそこには位置づけられない。外れ過ぎているのだ。良く言えば、時代の制約を受けつつも超然とした独自性と普遍性とを持っていたように思う。だからこそガウディは時代を超えて、多くの人々に訴えてくるのに違いない。
しかし、なぜ彼は時代の様式から孤立し突出していたのか。確かにガウディは、既存の様式からではなく、自然から学んだと言われている。レオナルド・ダ・ヴィンチがそうであったように。樹木の形やモンセラの岩山。それはそうだろうと思う。自然回帰なのだ。しかし、それだけでは彼の作品のもつ圧倒的な特異性を説明できない。
ガウディの建築作品の独自性と普遍性とは、実は彼の個人的無意識(独自性)と集合的無意識(普遍性)とが、誰よりも強烈に作品に反映しているためと、私には思われるのだ。
様式は各個人が内部に持っており、
無意識のうちに自然に湧いてくる
―ガウディ―
ここに突出した二人の典型的な建築家を見るのである。外向型の天才と内向型の天才である。
モンタネールにとっては倣うべき様式は外にあって(通常様式とはそういうものだろう)驚くべき博学さで、それらを吸収(収集と分類)し、出る幕を心得てそれらを使用する事ができたのだろう。社会的な活動能力も無関係ではないだろうが、彼の作品はその時代の様式を雄弁に代表していると思う。モンタネールはその博学さによって獲得した様式を彫琢し、実に上品に、この上ない形の美しさと調和とをもって、現実の空間に表現する事ができた。この才能は並外れて余人に求め得ず、彼の独壇場であって、その美と調和の奇跡が、彼の作品に時代の様式を超えた、紛れも無い普遍性を刻印したのだ。
一方、アントニオ・ガウディという個人の心的エネルギーは内に向かう性質のものであり、彼の作り出す空間はその内なる無意識からのメッセージに導かれ、無意識から届けられる素材を用い、無意識の有する混沌の影を色濃く反映していると思われる。骨格は時代のネオゴシックだったとしても、これでは既成の建築様式に収まるはずもないのである。
前章までは、合理的意識と非合理の無意識との、各々の空間的表現の典型と、その人間に及ぼす心理的な作用につき、思うところを少々述べた。この章では、外向的な感覚機能の作り出す傑作がどういうものであるのかを、体験に基づいて顧みつつ、ガウディの作品がそれとはおよそ異質であることを確認したように思う。
モンタネールの最高傑作「カタルーニャ音楽堂」の素晴らしさは、いずれどこかで再考するとして、ここで再びガウディと「サグラダファミリア」のことに戻り、さらに核心に迫りたいと思う。
<つづく>
<番外・バルセロナ・レストラン事情>
スペインというと、ウサギとウナギとパエリャ(パエジャと言います)ですが、今回は残念ながらパエジャについては「これは!」というのにめぐり合えず、それが大変心残りです。一方、どこでも美味しいのが生ハム。それもハモンイベリコというイベリコ豚の生ハムで、それの熟成したやつ。脂が透明になり、トロトロで、大変風味がある。これは現地でないとなかなか食べられないようです。これを土地のヘレスやワインと一緒にやると、しみじみと幸福感が心を満たします。
さて、バルセロナでは雰囲気があって美味しそうな店が沢山ありましたが、財政難のため一部しかトライできませんでした。
文中にあるカダファルクの建築になるレストラン「4匹の猫(クワトロガッツ)」は現在もピカソの時代と同じ場所にあって、ホウレン草を練りこんだラビオリやクリームソースのカネロニが感動的に美味です。大変活気があって店のスタッフが火事場のように動き回っている。なかなか雰囲気がいいですよ。
ピカソは当時19歳、ここで仲間と議論し、描きまくってパリに出て行くのです。彼はガウディの設計したグエル邸の前にアトリエを構えていたくせに、ガウディ芸術には反発しました。たぶん青年ピカソの自負だったのでしょうね。
またそのガウディの建てた「カルベ邸」と言うのがあって、建物の1階がカルベの名を冠したレストランになっており、ちょっと高級だが大変美味しい。美しいガラス装飾のある暗いモデルニスモなガウディの空間です。テーブルの上だけの極端な斜光に、料理が幻想的に浮かび上がります。これは「陰影礼賛」か。料理はウサギも良かったし、注文した品はどれでも、食べれば笑顔になりましたから、多分何でも美味しいと思います。デザートのチョコレートがまた素晴らしく香り高い。このカカオの恵みはかつての植民地に拠るものでありましょう。良い豆が入って来るに違いない。皿やカップはガウディの破砕タイルのデザインだし、メニューの中にカタルーニャ風とかの記述もあって楽しく、お薦めです。それに、ここのマダムは美しく、実に気品に満ちています。ただし時間になるまではどんな事があっても店を開けない主義なので、開店前に行かないように。
因みに、伝統的なバルセロナ郷土料理をと考え、茹でたカタツムリを食べに、「ロスカラコレス」に行った時のこと。そこの料理がとにかく塩辛いのです。店は大変風格があるのですが・・・偶然隣のテーブルにいた日本人の大学教授夫妻が、「ガイドブックを見て来てしまったが、塩辛いのであまり注文しない方が良いですよ」と忠告してくれました。しかし考えてみるとバルセロナは上記のように産業革命以後の労働者の街であって、まあ塩辛いのが正統なのです。カラコレスよ!お前は悪くない。たぶん・・・。
それで店の中を撮影させて貰いましたが、厨房の職人と思慮深いギャルソンがいい味出してますな。
全土でみると、スペインは世界の料理人の発祥の地、食の桃源郷と言ってもよいバスク地方を抱えています。が、今回は検分できませんでした。またバルセロナにはミシュランの三ツ星で「世界No1レストラン」の呼び声高い「エルブジ」がありますが、有名になりすぎたので日本から予約していかないと駄目でしょう。今回巡回した限り、もし貴方が「エンゲル係数100も辞さない派」であれば、その「食の探求スペイン編」は、マドリッドとバルセロナ、やはり都市ですね。伝統を踏まえた上で、新しい味の創造が静かに進行しているようです。そして注目は赤丸急上昇のバレンシアだと思います。
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