ギャラリー⑥<キッチュの館>シュールリアリズムの逆襲!
これらの画像は全て合成ではなく、実際にある居酒屋の空間で、何年か前にロケをしたものである。元来この店のオーナーは自身が画家で、その作風はマグリットを彷彿とさせるシュールリアリズムの系譜だと記憶している。店は画伯のおカミさんが執り仕切っていたが、それも夫の画業を助けるためと聞いた事がある。いつの頃からか、仕事の後に時折たち寄って、焼酎を飲むようになった。もっとも味についての配慮を欠くその店の料理は、決して美味しいものではなかったが、何とも言えないキッチュな雰囲気が店内には充満していて、美術系の業界の人間や寺の坊さん達(谷中の寺町なので)、さらに役者の卵とか芸大の連中等がたむろしており、何となく楽しげであった。
わけても秀逸なのは前記のおカミさんであって、つげ義春の漫画に「~館女主人」とかいうタイトルで登場してもおかしくない不思議な人物なのだった。性格的には穏やかなお母さんタイプとも見えるのだが、しかしながら外見が異常で非凡である。雪だるま型の体型で、眼鏡(らしきもの)をかけており、ネクタイ(らしきもの)で首から割烹着を吊るし、多分スカート(らしきもの)をはいていて、何故かいつも頭にハンカチ(らしきもの)がくっついている、という出で立ちだった(給食のおばさんのように三角巾を被っている訳ではなく、ただくっついている)。そしてめったに余計な事を喋らず、しかもホバークラフトのように移動する・・まあ考えようによってはシュールリアリズムを体現しているような稀有な人物なのだった。
さて、ここに通うようになってしばらく経った頃、一日、店を借り切ってモデルの撮影を行った。今回の作品群「キッチュの館」はその時のもの。ゴスロリの少女、ビクトリア朝時代のメイク、そして美しい人形。おカミさんはこの時の一連の撮影の上がりを見たがっていたが、その後しばらく店に行けず、月日が経ってしまった。ゴスロリや人形についての考察は別項に譲るとして話を進めると、ある時、最近おカミさんのご主人の病気がいよいよ深甚であって、気候の良い高原のアトリエに夫婦そろって移住し、旦那の病気療養に専心する事になった、ひいては店の方は閉めざるを得ない、という噂を耳にした。そこで、私は一大決心をして殆ど徹夜で、気に入った画像を選び、何度も調整し直して大判のプリントを作成した。そして早速、例の居酒屋へそれを届けに行ったのである。店舗の記憶のよすがとして田舎に持っていくとかしてもらえれば良いだろう位に思ったのだった。その画像がこれだった。
おかみさんは一定の反応を示したが、しかし、「店の中で全身を撮った他のものはどうでした?」と私に聞いた。私は何か答えたはずだが記憶に無い。
結局、その店は居抜きで他人に譲られ、継続する事になったようだ。しかし、あのシュールなおかみさんのいない店には魅力を覚えず、その後、何年か忘れたままだった。
さて、先日偶然にその店の前を通りかかったおりに、仕事がたまたま非番だったので懐かしく思って中に入ってみた。新しい店主は「あたごおる物語」の「オクワ酒屋」のオヤジに似ており、これはこれで良い味を出しているようだった。店が続いている所をみると、そのやる気の無さそうな顔にもかかわらず、それなりに頑張っているのだろう。
ふとトイレに行こうとして、席を立った時、うす汚れた冷蔵庫の横腹に、私の製作したあの写真プリントが貼ってあるのを発見した。予期せぬ邂逅で、懐かしく感じた。
「これはどうしましたか」と聞くと、オヤジが言うには、何だか知らないが、捨てる荷物を整理していたら出てきて、ちょっと面白そうなのでそこに貼ったのだが・・・との事。
なんだ、引越しの忙しさにかまけて写真の事は忘れてしまったのだな、しょうが無いなあおカミさん、その時、私はそう思っただけだった。結局店に飾られる事になったし、まあ良かったじゃないか、と。しかし今回、例の画像をギャラリーに載せようかなと考えている時に、微かな違和感と共に一つの疑惑が浮上してきたのである。接客中はいつも穏やかそうに見えるおかみさんだが、実際の所どういう人なのか私は全く知らなかった。その事に今更ながら気づいたのである。
しかしあの店内のキッチュな装飾、あれはおかみさんが少しずつ買い集め、あるいは拾ってきて飾ったものだという。あそこには何があったろう。ハンス・ベルメールのような人形や破壊された人体が表現するネクロフィリア、ジャンコクトーの阿片への耽溺、打ち捨てられた道具が醸し出す喪われた時間、種々の人面の持つ無秩序な象徴性、黄ばんで埃をかぶり曖昧によどんだ闇、そして全ては雑多で、統一性のある美意識をあざ笑うかのような混沌。これらが単なる演出だとは考えにくい。少なくとも、女主人の隠された人格や嗜好の一面が色濃く顕われていると推測する方が自然ではないか。
あの眼鏡(らしきもの)の奥で鈍く光っていた、岸田劉生の「麗子像」のような女主人の眼差しが、何やら怪しく思われてくるのである。シュールリアリズムを体現していた非凡な外見も非常に気になって来る。第一、普通の人はあんな格好をする勇気は無いはずである。
もしかすると、あの尋常でない佇まいのおかみさんは、かなりの芸術家であって、少なくともそのご主人の絶対の賛美者でもあって、その人格の根底には、容易に他人の存在を許さない神秘的なまでに強固な自我と、それに基づく狷介不抜のプライドを潜ませていたのではないのか。即ち、あの穏やかに見える表面の下には、相反するNo2の人格、キッチュの密林に息を潜める、虎の如き倨傲な人格が、隠されていたのではないか(少々穿ち過ぎかも知れないが)。何かそんな風に思われて来た。何しろ麗子像である。そういえば以前から、彼女の言葉のはしばしに、第二の人格の片鱗が現れていたと考えられなくもないのだ。
もしそうであれば、私の写真プリントは忘れられたのではなく、意図的に拒否された事になるのであろう。女主人が「店舗写真」や「店内の雑感」を期待したとすれば、その期待に沿っていない事は明らかだったし、さらに「隠された芸術家」「画伯の絶対的賛美者」にとっては、小癪に思われ、また許しがたい何かがこの写真には在るのかも知れなかった。意図的に廃棄されゴミ箱へドロップインされる運命のものだったのだ。
それにしてもキッチュな店内の中で薄汚い冷蔵庫に貼られたあの時の画像は、「オヤジ」の仕打ちによって冷蔵庫以上に薄汚れ、油がしたたり、見るも悲惨な状態となっていた。ところがしかし、まじまじと見ると、その店にはとても良く馴染んでいて、オリジナル以上の味を出しているのだった。時間と偶然というフィルターが絶妙にかかわって、今ではおかみさん好みの「死のベールに包まれた思い出」へと変じ、混沌たる店内でのインスタレーションを完成させていた。それを見てからは、私は作品に意図的にノイズを入れたりもするようになったのだが、まあ、これもシュールリアリズムの逆襲の賜物であると言えるのかも知れない・・・。
猖獗を極めた今年の猛暑が去り、肌寒い秋風が居酒屋のあるS坂を吹き下ろす季節が、また巡ってきた。
先代の女主人の行方は、誰も知らない。・・・(おいおい、だれか知ってるだろ)
Photos & Design: Tonno Model:Midori / Gucci
Hair & Make-up: Kozu
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