(4)内なる殿堂 ――サグラダファミリアの秘密――
もちろんサグラダファミリアはカトリックの教会である限り信仰の問題が基盤にあるのだし、それについて私は多くを語る事ができないが、ガウディの超越性というものは直観できる。サグラダファミリアに出会った時の圧倒的な何か、地上のどこにも属さない、あたかも異星の砦のように見える存在由来。それは何か。前章でガウディの作品には彼の無意識が強く反映していると書いた。このサグラダファミリアについては、さらにもう一歩踏み込んでみたい。
誤解を避けずに言えば、サグラダファミリアという建築は、彼の心の内奥に形成された「内なる殿堂」ではないか。そして、そこに表現されているのは彼の自己像そのものではないか。つまりサグラダファミリアはその自己像が外化(意識下にあるイメージの外界への具体化)して結晶化しつつあった建造物ではないかと思うのである。であれば、次のように言い切る事もできるだろう。サグラダファミリアはガウディ自身であると。
ある意味で残念な事だが、私の心性はガウディに似ており(もちろんその天才は別)、内にイメージを見るタイプなので、彼の事はとても良く理解できるのである。もし私が若い建築家の卵で、モンタネールかガウディか、どちらかの弟子になるという事だったら、躊躇なくガウディを選ぶだろう。偉大かも知れないが、偏屈な変人・狂人と揶揄されたガウディだが、身内の人間に対しては全く違ったと思う。といっても結婚しなかった彼は晩年には、天涯の孤客となってしまったが、仲間の職人達に対しては、おそらく彼は非常に親身で二心なく、深い絆で結ばれており、彼等もガウディに対して絶対的な信頼と尊敬とを寄せていたのではないかと思う。そして私も彼の「内なる殿堂」を形とするための手伝いをしたいと心から願ったはずだ。
私は学生の時、次のような夢をみた。
夜だった。とある茫漠たる広場のような空間を囲む、長い大きな回廊に私はいる。その回廊には吊り燈籠というのか、多くの雪洞のような灯りが連なって滲むような淡い光を投げかけ、私の行く道が夜の闇に浮かび上がっている。心安らぐ懐かしい気持ち、どこか故郷に帰って来たような意識があった。私はその回廊を歩いて行き、やがて楼閣のある大きな門にでた。そして当然のように、しかし厳粛な気持ちで、秘密の奥の中庭に入っていった。立ち止まりよく目を凝らしてみると、その奥庭の中央に非常に大きな何かがあって視界をふさいでいるのが判った。それはどうやら巨大な塔で、異常な量感をもって漆黒の闇を背景にそびえており、それを見上げた私は強い畏怖の念に打たれた。それはどこか日本の城の天守閣に似ており、何とも言えない威容だった。だが次の瞬間に私は愕然とした。その巨大な塔は何と中ほどより上の部分が、空中に浮いているのだった。明らかに未完成で、建設途中であり、空中楼閣そのものだった。恐怖に近い何かが私の胸に押し寄せ、すっかり驚いて目が覚めた。
以後もこの種の夢は何度か現れ、そのつど、建物は成長し、あるいは変容して行った。その後C.G.ユングの心理学に触れた時、おそらくこの夢は建物の配置などが、無意識の中に配された心像のトポスであって、塔の変容は自己像とその生成を象徴するものであろうと考えるにいたった。今にして思えば、もし自己の象徴が空中楼閣だとすれば、非常に危機的な状況だったと思うのだが。
後日、この中庭と言うか、広場を囲む夢の回廊と、そっくりの建造物を現実に見た。それは何と京都の平安神宮で、門をくぐって広場に入ると、とても懐かしい崇高なデジャヴを感じた。まあこういう所が、私の意識・無意識が地域の文化に影響を受け、限定されている所以だが、夢の中の回廊はもっと立派で、規模が大きく神秘的であったとは思うのだ。さらに社殿の奥にあった秘密の庭と黒い巨塔に関しては、未だにそれに似た建造物と出会っていない。
私がサグラダファミリアを目の当たりにした時、初めてこの夢を見たのと同じような種類の情動を覚えたのだった。以前から写真で見知ってはいたのだが、実際に見ると臨場感があって五感で感じるものがある。勿論、構造上の強度計算は合理的になされているのだろうが、何か非合理な、計算された意識の産物ではない形態、すなわち無意識から来て無意識に訴える象徴的な形態や、混沌として意味の影に満ちた洞窟の気配があたりに漂っていたのだ。この建造物に没入したガウディの気持ちが手に取るように解った。「ああ見事だ、これは内なる殿堂だ・・・」
自然にそんな言葉が私の口を衝いて出ていた。そしてこれが今回のガウディ小論考のタイトルとなったのである。
アントニオ・ガウディがサグラダファミリアの造営を任されたのは、かなりの偶然からだったようだ。まず前任者のビリャールが、折からの財政難で施主側から素材の変更を迫られ、そのために臍を曲げ、匙を投げた。費用のかかる石造から安いレンガへの変更を施主に助言した副主任のマルトレールは、自分がしゃしゃり出るのに気が引けて、考えた末、かつて自分が助手として使い、ビリャールも指導したことのあるまだ無名のガウディ青年に、お鉢を回したという事らしい。ガウディは31歳だった。ビリャールの設計図を見ると、「聖家族教会」は実にありふれたネオゴシックの退屈なデザインの小さな教会だった。ビリャールが臍を曲げなければ、今日我々が目にするような驚くべきサグラダファミリアは存在しなかった訳だ。
もっともガウディにしても、初めから今日最終形として知られるサグラダファミリアの構想があった訳ではない。はじめはビリャールの計画を受け継いだが、本気になるにつれ、それを廃棄し、自分で設計をし始めた。彼はデッサンと模型とでイメージを形にしていき、実際の三次元の造形から受ける感覚を再びイメージにフィードバックしていったのであろう。しかし、そのデッサンは何度も書き換えられ、実に40年余にわたって、死の直前まで変容し続けた。つまりサグラダファミリアには設計図が無かったのだ。サグラダファミリアの原型はガウディの心の内にあり、彼の個性化と共に成長してきたのである。
その間に、彼は餓死しそうな心身の衰弱の危機を経験し、カトリックの信仰を得た。(普通に幼児洗礼を受けてはいたが、若いときのガウディは無神論者だったふしがある)。何を思ったか自ら断食してあわや即身成仏になりかかったらしい。大きな心的ストレスに見舞われた時、外向型の人はヒステリーに陥る。それは何らかの形で無意識的に外界に訴える心身症で、声が出なくなる、目が見えなくなる、動けなくなる、など症状は多様であるが、いずれも外界への発信であることに変わりはない。しかし、内向型の人はこの場合ひたすら精神が消耗するので、外から見ていて判断できなくとも心のエネルギーが燃え尽きてしまい、内面が生ける屍さながらといった場合もあるし、これが動けない状態になると心ばかりか身体も完全に憔悴してしまう。ガウディは精神的に相当衰弱していたのであろう。この時期、死の危機に瀕したと言われている。彼を救ったのは尊敬するトーラス神父の次の言葉だった。「人生は、はかなく、すぐに過ぎ去ってしまう。だから人間は自分の意思ではなく、神によって生命を絶たなければならない。特にあなたの場合はそうしなければならない理由がある。この聖堂は神の望みにより、キリスト教徒を精神的に養うために着工されたのであり、あなたはこの聖堂を完成させるという現世での使命を受けているのだから」と。(この言葉、鳥居徳敏氏の著書より)
彼は再び起き上がり、そのとき新生ガウディが誕生したのである。自己の使命を自覚してからは、次第に深い神学的教義を思索するようにもなっただろうし、以後、彼の建築物における作風が変わったように思える。サグラダファミリアに関しては、この時点から、今日残されているような一応の完成形のイメージが姿を現すまで、さらに30年以上が必要だった。そして後半の10年間は他の仕事は一切請けず、サグラダファミリアの建設にのみ、全生活を捧げ、文字通り「神の建築家」となっていくのである。
彼の最終プランでは、サグラダファミリアは完成すると次のようになる。正面に「栄光の門」、向かって右側面、太陽の昇る側に「生誕の門」、陽の没する方角の左側面には「受難の門」が設けられる。それぞれの門の上には4本ずつ、計12本の塔が屹立し、これは12使徒を顕彰する。その内側に4本のさらに高い塔、これは4人のエヴァンゲリスト(福音史家:マタイ、ルカ、マルコ、そしてヨハネ)を象徴する。中心には一際高く太いイエスの塔、その少し後ろにはマリアの塔が立つ。マリアの塔は使徒の塔よりは高く、イエスの塔に寄り添っている。即ち、全部で18本の塔が建ち、3つの門ができる予定だ。現在までに、門が2つ、使徒の塔が8本できている。現在完成している二つの門のうちの一つ、「生誕の門」は、すべてガウディのプランによるのだが、ファッサードは腐りかけた巨神兵の肉のしたたるような鍾乳洞で、あからさまに深い無意識との関わりを連想させる。実に見事だがあまりに混沌としているので目を凝らさないと彫像達が見えてこないほど。
内陣は側廊から天井を支える柱が林立するが、「森の木々から木漏れ日が降るように」というのが、ガウディの計画である。そこにステンドグラスが美しい光を投げかけるのであろう。これは大変ユニークなプランだと思う。私の感想では巨大セロリが林立しているようにみえるのだが陰気でなく楽しい。
そして、完成の暁には使徒を表す塔の先端、その頂華の指輪穴からサーチライトがイエスの塔とバルセロナの街を照らし、イエスの塔からは中空へ光が、また塔の内部には、音階をもつ鐘(カリヨン)とパイプオルガンが仕掛けられ、光と音の競演が定時毎にくりひろげられる予定なのである。常に神を顧み、聖家族に対する贖罪の気持ちを思い起こす警鐘として、バルセロナの街全体へ響き渡るように。(実に驚くべき建物です!)。
このように複数の塔がイエスや使徒に捧げられて、結果、塔そのものが擬人化されている教会というのは珍しいというか、他には皆無ではないかと思う。この試みは、一時期、同時進行していたモロッコのタンジールに立てる会堂の計画で、すでにガウディは着想していた。この計画は彼自身、傑作と自負していたらしいが、結局、施主団体の資金不足のため実現しなかった。パラボラ型の尖塔が林立し、それぞれがイエス、福音史家、十二使徒をあらわしていた。その真上からの平面図を見ると全体は正方形に円の組み合わさった上下左右対称のもので、まさに胎蔵曼荼羅さながらの図となっている。サグラダファミリアでは、これに聖母マリアの塔が加わった事になる。
しかし、一つ疑問があるのだが、これは聖家族教会であって、聖家族とはヨセフとマリアとイエスなのである。イエスの養い親であるヨセフはスペイン語ではホセというが、その名をホセ・マリア・ボカベーリャという人がこの教会の創設者・発案者なのである。かれは出版業を営み、ローマ教会の権威の低下と世の宗教心の希薄化を憂い、「サンホセ協会」を主宰した。そして聖ヨセフを家長とする聖家族のための教会を作ろうと決心したのだ。それが正式名称「聖家族のための贖罪教会」、即ちサグラダファミリアなのである。1882年3月19日、聖ヨセフの日に礎石が置かれ、建設は始まった。
イエスとマリアと福音史家、十二使徒、各々に捧げるタワーがそびえるとして、ヨセフはどこにいるのだろうか。肝心のヨセフの塔が無いのである。イエスとマリアの塔の基壇となる内陣そのものがヨセフを表すとでも言うのだろうか。この全体像はサグラダファミリアとしては相応しくない。家族の像が見えないのである。ヨセフがいないのならば、いっそうの事、マリアの塔を取り去るか、これを聖母ではなくマグダラのマリアの塔とすれば筋が通るのだろうが、今のままでは理屈に合わない全体像と言わざるを得ない。
そして現在姿を現している使徒の塔、それは虫食いだらけでゴツゴツしており、まるで巨大な蟻塚のようだ。もしも日本の住宅街に出現したら、地域住民から訴訟をおこされかねないほど原始的で野蛮な感じもする(イエスの塔はどういう事になるのだろう)。実際、建築家のル・コルビュジエは、かつてこれを見て「バルセロナの恥」と言ったのである。意識的な洗練とは対極にあるこの力強さは、一体どこから来たのだろうか。そしてその頂華の個性的で何と立派な事。しかし、これは使徒の担うべき清貧と謙譲の徳を表現するようには見えず、少々くせ者の王侯貴族のように威風堂々としていて、むしろガウディの内面の矜持を示してはいないだろうか。
擬人化された建造物の要素がその役割や枠を超えて何かを顕している。ファルロス型の巨大な太い塔が、その中心に屹立する事で完成するこの教会の全体像は、むしろ極言すれば、ガウディの深い無意識から浮かび上がってきた「自己とアニマとその他の元型との競演」と考えた方が、妙に腑に落ちる布陣だと思うのである。(ここで言う自己とは私の中心というほどの意味)。
世に、外化した「内なる殿堂」が幾つか知られている。郵便配達夫シュバルの理想宮、豪州サトウキビ長者のパロネラパーク、かつて香港島に花開いた秘密のタイガーバウムガーデン、ボマルツォの「聖なる森」、イタリアの数々のグロッタ。多くは無意識界がそうであるように、奇怪であったりキッチュであったりするのだが、無残であったり痛快なものもある。マイケルジャクソンのネバーランドや狂王ルードヴィッヒ二世のノイシュヴァンシュタイン城もここに挙げられるだろうか(書割建築というコンセプトであれば、各種テーマパークや映画村もここに入るだろうが、外的なテーマや使用目的があり、組織的に設計・施工され運営されるものはここにエントリーする資格はない)。必要な機能なり、前提となるテーマがなく、箱庭が発展したような空間、必要性を離れて個人的で止むに止まれぬモチベーションから成る建造物は、大抵は皆どこか偏頗であり「内なる殿堂」の匂いがする。
私たちの意識は氷山の一角であり、水面下に深く豊かな無意識がある。その世界は静的なものではなく、発展し、流動している。私たちの行動は気づかぬうちにその影響を受け、ある時には非合理で普段なら考えもしない決断をしてしまう。無意識の内容は夢に現れ、あるいは意識レベルが低下した折にふいにその片鱗を見せる。忙しさに取り紛れてしまった事々、防衛的忘却によって封印された劣等感や都合の悪い事、忘れ去られた理想の自分や今では遠くなった美しい光景、これらも潜在意識の内容となるが、こういうのは無意識の中でも比較的表層の個人的のものだ。深い層には多くの人々に共通する無意識があり、その要素としての幾つかの元型がある。良く生きるための知恵もそこにあるのだという。それらの中に「自己」という元型とそれを取り巻く小宇宙がある。
私が考えるに、個人的な無意識をより多く巻き込むほど「内なる殿堂」は何かしら奇矯でグロテスクになる。内向的な人は特に、他人からの見栄えに無頓着になりがちで、劣等なコンプレックスが無防備に顕れるのだろう。もし、その外化した「殿堂」が人々にいわく言いがたい感動を与えるとすれば、技術や造形力の優劣は別として、そこに深層にある集合的無意識の何らかの要素が多かれ少なかれ立ち現われているのだと思う。
しかし、その「内なる殿堂」を外化する作業というのは、ユング心理学によれば、私たちの人生にとって、少なくともあるタイプの人達にとって、決定的に重大な意味を持つという事だ。C.G.ユングもボーリンゲンの地に、塔のあるユニークな館を自らの手で建てたのだった。そして、それは自分自身の個性化の過程で是非とも必要な作業だったと彼は述べている。
こう見てくるとサグラダファミリアは非常に特別な建築物だという事がわかる。前述したように、建設はビリャールの後を受けて二代目の建築家に委託されて始まったが、途中からは設計のみならず施工の実質的主体が、資金調達の点でもガウディ個人に移り、彼の自由な創造に掣肘を加える圧力がなくなった。従ってこの建物には実際のところ納期も設計図もなく、建築家の個性化に応じて全体像や空間イメージは時間をかけて自由に発展生成していった。ここに彼は「内なる殿堂」を外化していったが、他の「殿堂」たちと違っていたのは、サグラダファミリアは個人の慰みに供する密かな芸術作品ではなく、まして趣味の洞窟ランドでもない。それは社会的・宗教的な役割を持った「神の家」としての教会であった。またサグラダファミリアの建設は、ガウディの晩年には、カタルーニャの地で社会的な出来事となっており、民衆による神の家の復興とカタルーニャ民族主義との象徴になっていた。晩年の彼は、それら神と人々から課された使命を深く自覚した。
サグラダファミリアは、だから、内向タイプの天才的建築家が、自己像を含む「内なる殿堂」の投影を、第一級の社会的建造物として成就しつつあった実に稀な例だったのではないだろうか。そしてその出来事は、彼が一種の宗教的祈りの下に、自分自身を突き詰め個性化してゆく過程で起こったと言えるのではないだろうか。
(5)サグラダファミリアの危機
今回のスペイン小旅行では、私の無知故にコロニアルグエル教会への訪問をカットしてしまった。今となっては悔やまれる。その教会はグエルの死によって未完となったが、地下礼拝堂は傑作であり、図版を見る限りでは、未完の完成とも言うべき態を成している。
それではガウディの死によって成長が止まったサグラダファミリアの場合はどうであろう。サグラダファミリアはガウディ自身であり彼の作品に他ならないのだから、例えばバッハの「フーガの技法」がそうであるように、本当は中断したまま置いておくべきものだと思う(地下礼拝堂は使えるのだし)。しかし、残念ながらこれは公の役割をもつ教会であって、故人の遺志も子々孫々の代に完成を託したのであってみれば、やはりガウディのプランに従って建設を続けるのが正しいのであろう。造り続けるのがサグラダファミリアだという考えすらあるのだから。
当初、200年とも300年とも言われた工期であるが(現在までに100年余が経った)、近年の観光による莫大な収入と、最新式の建設機械の投入、80年代より石に替わって鉄筋コンクリートを使用するようになるなど、諸条件の改善(?)により、工期は大幅に短縮されたようだ。何とこの後20年程で完成の見込みという。そうなると完成はこの眼で見届けたいものだが、速成というのはどうだろうか。重厚な石積みでコツコツと、しかも超迅速にはできないものか。現在のコンクリート造作の部分は、木に竹を接いだ感じは否めないし、全体も何かテーマパークの張りぼての建物に近づいて来ている気がする。かなり心配である。
さらに深刻(と私は思うのだが)な問題がある。その問題は「受難の門」に既に顕れている。ガウディが路面電車にはねられた時、ポケットの中には、携帯版の聖書とナッツ(彼の昼の食事)と受難の門の細密な完成構想スケッチが入っていたという。今日、受難の門は完成しているのだが、担当彫刻家は全くガウディの意匠を変えてしまったのだ。誕生の門の彫像の一部を担当した日本人彫刻家、外尾悦郎氏は受難の門の作成時からそれを批判してきたし、今でもその事は過ちであったと述べている。私も同じ意見だ。受難の門の彫刻群は、インスタレーションとして見ればとても出来の良いものだと思う。そもそも単純な幾何学面を持つ彫像達によって、大きな悲しみが静かに表現されている。空間が整理され単純化されたために、深い感情が象徴的に昇華されて(この方向はガウディの意向に沿っているが)、いくばくかの空しさと共に形而上的な思索を誘うようでもある。しかしあまりにも彫像達はガウディの意図とは異なっており、「生誕の門」とも平仄を欠いている。これはもう一度やり直し、現在の彫刻群は別の場所にでも展示して貰いたいと願うのである。
今後もサグラダファミリアには種々のアーティストがやってきて、それぞれの個性で自分の好きなように仕事をしていくのだろうか。だとすれば、もはやこの教会はガウディのものでは無くなり、やがて複数の自己満足の落書きで満たされた巨大な寄せ書き帳と化して行くしかないのであろう。これをサグラダファミリアの危機と言わずして何としようか。
好き勝手に書いてきたが、もとより私は建築の専門家ではないし、つい先日まで、ガウディについては殆ど予備知識も無かったのである。むしろ今回スペインを訪問したのは、宮廷画家ベラスケスと彼の生涯とに興味を持っていたからで、まずマドリッドのプラド美術館を訪ねたい、というのが主な動機だった(それはまた別項で)。ガウディについては、帰国後、冒頭に書いたような事を感じる事があって、気になって多少調べ始めた訳である。といっても何冊かの本を読んだという程度。だから、今回のガウディとサグラダファミリアについての感想の根底にあるものは、すべて現地での私の直観であり、専門家からすれば的外れで噴飯物だと言われても仕方ないのかも知れない。
しかし・・・それでも「私は知っている」のである。ガウディが何を作ろうとしたのかを。
完
(お付き合い有難うございました。長くなるため文中の幾つかのユング心理学の用語は解説無しで使用しました。悪しからず。なお「内なる殿堂」は私の造語であり心理学用語ではありません。)
補遺:「ティトワン」で出てきた、広場中央の集合の彫像ですが、これは実はモンタネールの発案により作成され、ガウディが土台の石造部分を造形したものです。バルトロメというカタルーニャの医学博士の銅像です。バルセロナの市長も務めました。しかし、復元されてこの広場に移築されたのは比較的最近の事で、内戦で破壊された時は別の場所にあったそうです。モンタネールとガウディの浅からぬ縁を感じます。そしてガウディが瀕死の打撃を受けた事故現場に置かれた医学博士の石像というのも・・・因縁を感じます。